2009年7月12日日曜日

ロジカル・シンキング入門

今は時代の変わり目、変革期
今までの価値観が通用しなくなる
こんな時代を生き抜くためのキーワードがロジカル・シンキング
みたいな導入部分で上手く行きぬけてない僕は
ハートをわしづかみされてしまいました

ロジカル・シンキングの手法の一つはレトリック
いくつもの視点を持つこと
想像力を持つこと
僕はあんま視点ないかな
想像力も自信ない
視点はもっと欲しいけど
想像力はいらんかな。とも思う

英語を読む時は想像力だなんてとも言うけれど
英語を読むのに必要なのはフィーリングだと思う
僕は想像力よりフィーリングに自信がある
英語に想像力が必要なのも初級者だけかもしれんし
何ヶ月前に買ったんだろうか?
という音読雑誌もまだ音読終わってないけれど
音読すればするほど意味がつかめなくなってきます
でも英語のフィーリングには近づいてきたかな?
効果でるほどやってないけど

この本には梶井なんとかの「レモン」の話も出てました
高校の教科書で読んでたなぁ
高校時代は国語の授業が一番好きだったかも
テストはできなかった気もするけれど
なんか小中の頃はきちんと設問を解くってのがテーマで
味わってなかった
夏休みとかに読んだら結構面白かったけれど
高校の頃は授業に入っていく気ゼロで
ずっと教科書読んでたなぁ

ロジカルな考えはできるかもしれません
塾長にロジカルな考え方できないんですよー
って言ったら話聞いててもできてるよー
みたいなことを言われました
だってプログラミングはかどらないのに
だなんて考えたら
できないのはロジカルな考え方じゃなくて
現状認識でした
プログラミングしてても
今どういう状態なのか?とか全然わからなくなったし
確かめてばかりです

科学における「レモン」それは全世界と繋がる
常に存在する「レモン」
文学における「レモン」それは
一回限りのレモン

主婦がスーパーで手に取る「レモン」それは
普遍的な「レモン」?
子供が手に取って遊ぶ「レモン」それは
一回限りのレモン?

主婦の「レモン」は科学に通じ
子供の「レモン」は文学に通じる?

科学は全世界に通じる
文学も世界に通じる
主婦の「レモン」は世界の部分
子供の「レモン」も世界の部分
そんな趣旨でした

以前、wikiに書き込んだ時、中傷されたんだけど
僕の文章に科学を求められたのだろうか?
書くのは一回
でもそろそろ僕の文章は科学を目指すべきなのだろう
wikiは控えているけれど
いつか自分でwikiを運営したいし
サイトにもプログラムのっけてるし
科学な文章を志すべきなんやろーなー

と、文庫読みつつなんか書いているんですが
いつからか応用するように読んでいます
常に感想をブログに書きたい
だ、なんて考えながら読書してます
進むの遅いし、全然理解できない
何回も読むし
高校の頃読んだ教科書の文章は読みやすかったなー
最近はこういう啓発書っぽいのばかりで
ゲーム小説も読むの遅いかなー
読みやすい小説ってのは流れだったのかも?
一時期はまった辻仁成作品もよみにくかった
何ヶ月か前久しぶりに司馬遼太郎の功名が辻読んだら
ものすごい読みやすかった

高校の古文・漢文の先生かんじよかったなー
古文は覚えることが多すぎてだめだったけど
漢文は割と得意やったなー

mixiにインパルスの板倉さんが小説を出版すると書いてありました
一年半もかかった。とか書いていたけれど
完成した事実がすごいです

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